結局みんなポジショントークしかできない
みんな、自分の人生はいいものだと納得したい
同じ境遇の人間同士が集まって傷口を舐め合う
それは少しも悪いことではないと思う
人生の結果が出てしまった後は、いくら後悔してももう取り返しはつかない
あのときの決断は正しかったと思って前に進むしかない
時を巻き戻せないのに、他人の人生に「あれは失敗だったね・・・」そんな横槍を入れて何になるのか
みんな、ポジショントークしかできない
自分の人生を肯定的に捉えることができるのは健全だと思う
人生に正解はないのだから、自分の人生が最高だったと思って死ねるならそれが一番いい
ニートだろうが、大企業の社長だろうが、立場にかかわらず、もっとこうしたかった、こう生きればよかったという思いは大なり小なりあるだろうけど
自分の人生が充実していたという思いがあって、自分自身の人生を肯定的に生きれることは幸せだ
もっと他の人生の方がよかったとか、あんなことすべきじゃなかったとか考えたってしょうがない
もう一度言う「時は戻せない」
隣の芝生は永遠に青い
極端な話、宗教にはまって全財産を失って家族も友人も全て失ったとしても、死の間際まで神による救済を心の隅々まで信じていたなら、それは幸せだろう
わざわざ騙されていた証拠を列挙して信者を地獄に突き落とす必要はない
「自分の人生は素晴らしかった」と思える奴は話が長い
校長先生、会社の役員なんかで説教好きなやつは大体自分の人生や実績に自信を持っている。彼らは自分の人生経験は最高だと思っているので、いつまでも自分の苦労話(武勇伝)をしている。